よるひるつねにまもるなり

南無阿弥陀仏をとなうれば 梵王・帝釈帰敬す
諸天善神ことごとく よるひるつねにまもるなり 浄土和讃
お葬式があったお家の玄関に「忌中」と書いた札を見ることがあります。
おそらく忌みごとがあったことを他の方に知らせるためでしょうが、浄土真宗では不要です。
覚えておいてくださいね。
浄土真宗では・・・というのは他にもあります。
例えば、清めの塩はいりません。
友引や仏滅など日の善し悪しも気にしません。
吉日も使いません。
数字に4や9が付いても一切気にしません。
なぜ気にしないと言い切れるのでしょうか。
それはいまここに届いてくださっている阿弥陀如来の救いのはたらきの確かさの現れだからです。
親鸞聖人は上記の和讃にあるようにお教えくださいました。
お念仏を称える身になれば、梵天や帝釈天、あらゆる神々もみな、
夜を問わずにお守りくださるのであると。
ありがたいですね。
ですから語呂を気にしたり、
日の善し悪しを気にする必要はまったくありません。
南無阿弥陀仏のお念仏ひとつでいいのです。
でも「お念仏を称える身になれば」とあります。
「お念仏を称えたら」ではないことに気をつけてください。
「お念仏を称える身になれば」とは、私が問われているのです。
いますでに、阿弥陀さまの救いのはたらきのどまん中に私がいて、
阿弥陀さまがいつも私とご一緒くださって、昼夜を問わずに私をお支えくださる。
「我にまかせよ、必ず救う」と、
私の称えるお念仏の声となって、いつも私を喚んでくださる。
そのことに頭が下がり
「ありがとうございます。阿弥陀さま」と
口からお念仏が出てくださる。
この心を信心といいます。
お念仏を称える身とは、信心をいただく身のことです。
私が信心いただく身にさせていただくことこそ
何よりも大切とお教えくださるのです。
南無阿弥陀仏
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