如来より賜わりたる信心なり
このお言葉は
親鸞聖人の先生である法然聖人のお言葉ですが、
親鸞聖人はさらに明確に
阿弥陀さまのおはたらきをお教えくださいました。
阿弥陀さまは、
自分中心の思いに苦しむ私たちを
必ず救わずにはおれないとはたらいてくださいます。
無限の過去から無限の未来までどこまでも、
私の心の中までも届いてくださいます。
ひとときも休むことなくはたらき続いてくださるのだと、
聖人はお教えくださいました。
阿弥陀さまは
そのはたらきのすべてをご自分の名前に込めて
「わが名を呼んで欲しい」と願ってくださり、
南無阿弥陀仏ナモアミダブツとお念仏の声となり
私にいたり届いてくださるのだと
お示しくださいました。
でもお名前をおよびするのなら「アミダブツ」なのに、
なぜ「ナモアミダブツ」と
ナモ(南無)がつくのでしょうか?
ナモとは昔のインド語で、
阿弥陀さまにおまかせする私の思いを表しています。
もし私が自分で信じ称えるのなら、
時と共に変化し当てにはなりません。
しかし阿弥陀さまは、
ナモの心すらも阿弥陀さまの方で完成してくださり、
私にお与えくださったのです。
ナモアミダブツと聞くこの耳も、
称えようとする思いも、
この口も、すべて阿弥陀さまからの賜わりものなのです。
いまお念仏を称えるに至ったご縁も、
お寺にお参りし、この寺報を手に取ったご縁も、
全ては如来さまのおはたらき、お育てであります。
お念仏をよろこぶ私の信じ心も、
阿弥陀さまからの賜わりものなのです。
未来永劫、
決して変わることのない
真実の仏さまからの本物の賜わりものなのです。
ですから私の人生をいつも共に歩んでくださり、
このいのちを終える時には
光輝くお浄土へと生まれさせてくださるのです。
いよいよ12月、
様々なことがありましたが、
すべては私をお育てくださるご縁でした。
ナモアミダブツとお念仏を申し
新しい年を迎えさせていただきましょう。
