ほとけの誓い信ずれば … 白蓮華ぞとたたえます

今年も蓮が咲き始めました。
仏教では白いハスの花、白蓮花を大切にします。
泥の中からスーッと伸びて、白い大きな花を咲かせる様子が、
仏のさとりにたとえられるからです。
人間の心も社会も問題だらけのドロドロですが、
泥に染まらず咲く蓮の花を見ることは
ひと時の喜びです。
私たちは生きるために役立つこと、
良いことを求め続けています。
そして知識や技術を得て、仕事や食事をし、
健康に気をつけ、楽しみをもとめ、、、
にも関わらず、思い通りにならず
に怒り落ち込み、苦悩しています。
仏教や法事でさえも、
世間体を保つことや役立つかどうかで決めていませんか?
ある方から仏さまに供えるお仏飯の意味を聞きました。
インドの修行僧が毎朝鉢をもって托鉢し、
お布施を受けた食べ物だけを食べ、
修行を続けたことが起源だそうです。
だから朝にお供えしたお仏飯をおつとめ後にいただくことは、
お釈迦さまのお食事と同じものをいただくことです。
それはお釈迦さまのみ教えを、
私の人生の指標とさせていただくことだということです。
浄土真宗では、
その他のお仏事やお供えもすべて、阿弥陀さまへの感謝と、
そのお言葉を人生のよりどころとさせていただく姿を表わすものです。
決して生きることだけのため、
ましてや世間体を保つためのことではありません。
私たちは、
生きるためにやってきたすべてのことの
意味が無くなってしまうという問題を抱えて、生きています。
今ここで
その問題を抱えている私のよりどころとなってくださるのが
南無阿弥陀仏です。
皆一同に
南無阿弥陀仏を喜ばせていただくのがお仏事です。
泥水の中から白蓮花が咲くように、
生き死にを超えて大切にすべきことを、
聞かせていただくご法事のご縁を、
どうか大事にしてください。
この文章は7月寺報の内容ですが、ホームページの更新が1ヶ月遅れてしまいました。申し訳ございませんでした。
