悪をもおそるべからず、弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえに

善いことをすれば善い結果があり、
悪いことをすれば悪い結果があると、私たちは常識的にそう思っています。
でも私たちは純粋に善いことができるのでしょうか?

私は毎日電車通勤をしています。
乗車駅ではまず座れますが、京都に近づくほど混んできます。
先日ある駅でおばあさんが乗ってこられました。
すでに混んでいたので私は席を譲り、その方はお礼をいって座られました。
翌日、同じ駅からまたあの女性が乗ってこられ、私の横に立たれましたので、
昨日と同じように席を譲りました。
そしてその翌日も
彼女は決まったように私の横にやって来ました。
どうも私があてにされているようでイヤな感じでしたが、
同じように席を譲りました。
その次の日から私は乗る車両を変えてしまいました。
私の善意もたった三回が限界で、
ほめられたものではありませんでした。

「仏の顔も三度まで」という言葉がありますが、
仏さまには決して限界はありません。

親鸞聖人のお言葉に
「仏の本願を信じて念仏するものは、往生のために他の善を積む必要はない。
如来よりたまわった本願の念仏にまさる善はないからである。
だから悪を恐れる必要もない」とあります。

私たちは毎日を生きている中で、
自分の善し悪しや、他者の善し悪しに惑わされて生きています。
いくつになっても喜怒哀楽にもみくちゃにされる私です。
ですが私の心に惑わされることなく、
善いときも悪いときも、
いつも暖かく見守りくださるのが阿弥陀如来さまです。
阿弥陀さまの大悲の中に
安心の人生をたまわることができます。
善いことを誇る心も、イヤなことに捕われる心も、
まったくおかまいなく、
与えられたいのちのままに、
おおらかに人生を歩ませていただけます。

皆さま「南無阿弥陀仏」と
お念仏申す人生を歩ませていただきましょう。

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