他力というは 如来の本願力なり

通勤電車で、よく出会うおばあさんがおられます。
席をお譲りするのですが、申し訳なさそうに座ってくださいます。
かく言う私も、時々席を譲られることがあります。
年をとることは、避けたいことですが、
どうしようもないですね。

ところで、またコロナの波がやってきました。
今まで以上に
身近なところで感染する方が増えているように感じます。
でもコロナに限らず、
病気になるということも誰にとってもどうしようもないことです。

私たちは、
このどうしようもない、努力のしようのない
老病死の苦しみや、愛別離苦の苦しみから
逃れられずに生きています。
誰にとっても避けることのできない苦しみです。
ですので
考えないようにしたり、先送りにしようとします。
でも逃げ切ることはできません。

阿弥陀さまは、
逃れることのできない苦しみに悩む私こそを
「必ず救う」とはたらいてくださっています。
冒頭のことばで親鸞聖人は、
この如来さまのはたらきを
他力、本願力とお教えくださいました。

世間では「他力本願」とは
怠け者、無責任の代名詞のように、誤解されて使われています。
しかし本当は、
老病死の苦しみを共にしてくださり、
私の究極の依りどころとなってくださる
阿弥陀さまの利他のはたらき、
利他力、本願力のことなのです。

もし誤解されている方がおられたら、

阿弥陀さまのはたらきのことですよ、と教えてあげてくださいね。

南无阿弥陀仏

ところで、去る7月10日に永代経法要をお勤めしました。
話しあい法座のやりかたを取り入れて
皆さんに少しですが、話合いをしていただきました。

はじめは意見もでないかなと思っていましたが
活発な意見交換がありよかったです。

またこういう機会もつくりたいと思っています。

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